旅先で、教科書に載っている場所や歴史上の人物に出会う。名前だけ知っていたものが、実際の建物や町並みとつながる瞬間って面白いですよね。
今回の親子旅の舞台は、山口県萩市。松下村塾・萩城下町・萩反射炉という、世界遺産の構成資産3か所を巡りました。
「旅育」といっても、勉強のために予定をぎっしり詰め込むわけではありません。気になるものを見つけ、親子で「なんでだろう?」と話してみる。そんな旅もいいなと思っています。
当日は、あいにくの雨。それでも、萩には思わず立ち止まりたくなる歴史の仕掛けがいっぱいありました。
萩にある世界遺産は全部で5つ

2015年7月、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界文化遺産に登録されました。九州・山口を中心に8県11市、合計23の構成資産からなる、ひとつの世界遺産です。
そのうち萩市にあるのが、次の5つ。
- 松下村塾
- 萩城下町
- 萩反射炉
- 恵美須ヶ鼻造船所跡
- 大板山たたら製鉄遺跡
今回は、このうち上の3か所を訪れました。残りの2か所も含めて、それぞれに日本の近代化へ向かう歴史が詰まっています。

ちなみに、離れた場所にある複数の資産を、共通する歴史や価値でひとまとまりとして登録する考え方を「シリアル・プロパティ」といいます。
むすめシリアル?穀物?
思わず朝食のシリアルを連想しますが、こちらは英語で「連続・一連」を意味する serial。穀物の cereal とは別の言葉です。世界遺産を調べていて、まさか英単語の勉強まで始まるとは。
① 松下村塾|ここから歴史を動かす人たちが?


雨の中、まず訪れたのは松陰神社の境内に残る松下村塾(しょうかそんじゅく)。




建物を目の前にして、子どもから出たのは「思ったより小さいね」という感想。たしかに、後の日本を大きく変える人たちが学んだ場所とは思えないほど、こぢんまりとしています。



でも、世界遺産に選ばれるほどの『塾』ってどんな塾??
松下村塾は、幕末に吉田松陰が若者たちを教えた私塾です。高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋など、明治維新やその後の日本で活躍した人々が学びました。
驚くのは、吉田松陰が本格的に塾生を指導した期間が、およそ2年余りだったこと。年数だけ見れば短いのに、そこから多くの人物が育っています。
松陰は一方的に知識を教え込むだけでなく、塾生の長所を大切にし、議論を通して考えを深める学びを重視したとされています。工業や技術教育の重要性を説いたことも、産業革命遺産として評価される背景です。


※写真は、道の駅「萩往還」にある松陰記念館の再現展示。実際の松下村塾とは別の場所です。
小さな建物が世界遺産に選ばれたのは、建物の大きさではなく、そこで交わされた学びが、その後の歴史につながっていったから。現地で見ると、この対比がいっそう印象に残りました。
参考:松陰神社公式|松下村塾
② 萩城下町|江戸時代の地図が、今も使える町
続いて萩城下町へ。萩は江戸時代、毛利氏の城下町として栄えた場所です。昔の道路や町割りがよく残っていて、江戸時代の古地図を片手に散策できるというのが大きな魅力。


これは幕末ごろの萩城下町の絵図。こんな地図を手に「この曲がり角、今も同じだ!」なんて探しながら歩けたら、気分はちょっと「ブラタモリ」です。
もっとも、私たちが訪れた日は雨模様。古地図を使ってじっくり歩く計画は断念し、今回は旧町人地を中心に見て回りました。晴れた日にもう一度訪れたい理由が、早くもひとつ増えました。
現在も萩市では、古地図を使うガイド付きのまち歩きや、ダウンロードできる散策マップが案内されています。気になる方は萩市観光協会の古地図まち歩き案内をどうぞ。
世界遺産に登録された城下町は、3つの地区に分かれる


「萩城下町が世界遺産」といっても、町全体が対象というわけではありません。構成資産として登録されているのは、城跡・旧上級武家地・旧町人地の3地区です。
城跡は藩の政治の中心、旧上級武家地は重臣たちの屋敷が並んだ地区、旧町人地は商業や職人の営みが見られた地区。町の形そのものが、当時の社会や産業化への動きを伝えています。


※萩城跡の写真は写真ACより。今回は城跡まで足を延ばせていません。
実際に歩いた旧町人地は、町並みがまるで歴史資料


曇り空で写真は少し暗めですが、白壁や古い家屋が続く通りは雰囲気たっぷり。


そして、町を歩いていて気になったのが夏みかん。古い屋敷の近くにみかんの木があるのも、いかにも萩らしい風景です。
実はこれ、単なる特産品の話ではありません。明治維新後、収入を失った士族たちの生活を支えるため、武家屋敷の広い土地を使った夏みかん栽培が広がったそうです。その結果、屋敷の敷地割りや土塀が守られ、城下町の景観が残ることにもつながりました。
何気なく目に入るみかんの木が、町の歴史を伝えているとは。こういう発見があるから、町歩きは面白いですね。


こちらは国の重要文化財「菊屋家住宅」。


菊屋家住宅の西側に続く、特徴的ななまこ壁も印象的でした。


そして、木戸孝允(桂小五郎)の旧宅。木戸孝允が生まれ、江戸に出るまでのおよそ20年間を過ごした場所です。歴史の教科書の人物が、急に身近に感じられます。
文化財施設を巡るなら「1日券」も
萩市には、木戸孝允旧宅などを見学できる「萩市文化財施設1日券」があります。公式の観光案内では、対象9施設について、1施設100円、共通1日券310円と案内されています。


※写真は当時の券です。対象施設・料金・販売場所などは、訪れる前に萩市観光協会の最新案内でご確認ください。
雨がなければ、こんな施設もゆっくり巡ってみたかったところです。
今回の旅で感じたのは、観光案内の工夫も充実していること。地図や説明パンフレットが各所にあり、係の方も萩の歴史を親切に教えてくれました。初めて訪れる親子にとって、こうした手助けはありがたいですね。
③ 萩反射炉|「完成しなかった挑戦」にも価値がある


最後に訪れたのは、萩反射炉(はぎはんしゃろ)。煙突のような、高い塔の姿が目を引きます。
子どもも「塔みたいなこれは一体なに?」と不思議そう。反射炉は、鉄製の大砲を造るため、鉄を高温で溶かす装置です。
幕末、日本の沿岸を守る力を強めようと、萩藩も西洋の技術を取り入れようとしていました。そこで、すでに反射炉の操業に成功していた佐賀藩に技術を学ぼうとします。
最初は伝授を断られたものの、その後、反射炉をスケッチすることは認められたそうです。ただ、現存する萩反射炉は本格的な操業に至った完成施設ではなく、試作的に造られた炉の煙突部分と考えられています。





っていうか、外から見ても仕組みがどうなっているのかよく分からない…
確かに、建物を見ただけでは鉄がどこで溶けるのか、なかなか想像できません。説明図があると、燃料の炎や熱を反射させて鉄を溶かす仕組みがイメージしやすくなります。


ここで印象に残ったのは、「完成した立派なもの」だけが世界遺産になるわけではないということ。限られた情報の中で技術を取り入れようとした、当時の人々の試行錯誤にも大きな意味があるんですね。
親子で萩を歩いて感じたこと|町じゅうが博物館


萩の町では、「明治維新胎動の地」という言葉をあちこちで見かけました。最初はちょっと大きな言葉に感じても、松下村塾、城下町、反射炉を巡るうちに、その意味が少しずつ見えてきます。



町中が博物館ってだれかが言ってたけど、本当だね…。
確かに、そのとおり。建物だけでなく、道、土塀、夏みかん、歴史上の人物の暮らしまで、町全体がひとつの教材のようです。しかも、教科書を読んで終わりではなく「どうして?」と新しい疑問も生まれます。
吉田松陰は、数えで30歳という若さで亡くなりました。短い生涯の中でも、自分の考えを持ち、行動し、後の世代に大きな影響を残した人がいた。その熱量も、萩を歩いて改めて感じたことのひとつです。
今回の雨で、5資産のうち訪れられたのは3つ。古地図散策も途中まででした。でも、行けなかった場所があるからこそ、また来る楽しみも残りました。次は晴れた萩で、ゆっくり町を歩いてみたいと思います。
歴史が好きな子も、まだそうでもない子も。目の前にあるものから、それぞれ気になる発見を持ち帰れたら、それだけで素敵な旅になるのではないでしょうか。






