旅育・山口編①|萩の世界遺産「明治日本の産業革命遺産」を親子で巡りました!

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本日のお届けするのは、

【旅育の記録】山口編①・萩の世界遺産

ということで、

2015年7月に世界遺産登録された山口県萩市の各所を親子でおとずれた旅の記録です。旅育と書きましたが、一体何かというと、…読んで字のごとく、

なっちっち

旅を通じて子供に色々な体験をさせて育てること!

になります。机の上の勉強だけでは学べないことが人生にはたくさんありますね。学校でも社会科見学や修学旅行など、実際に現地に行ってしか学べない事を学ぶ機会があると思いますが、それを家族単位で行うのが『旅育』になります。ただ楽しむ、リラックスだけの旅行ではなく、「学ぶ・発見する・体験する」といったテーマをもって旅に臨むのが、旅育の基本です。

今回親子で巡ったのは、山口県萩市

  • 松下村塾(しょうかそんじゅく)
  • 萩城下町(はぎじょうかまち)
  • 萩反射炉(はぎはんしゃろ)

など。明治維新ゆかりの地でもあり、日本の近代化・産業化の重要な役割をになった場所です。

ということで!

なっちっち

【今回の旅育テーマ】
・萩の世界遺産を巡ろう!
・明治維新ゆかりの地でいろいろ学ぼう!感じ取ろう!

になります。萩は観光にとても力を入れていて観光客の知的好奇心をくすぐる「しかけ」がたくさんあるな!と思いました。そのあたりもあわせてご紹介します!

目次

萩の5資産、世界遺産に登録!

2015年7月に萩の5資産が『明治日本の産業革命遺産』として世界遺産に登録されました!

  • 松下村塾(しょうかそんじゅく)
  • 萩城下町(はぎじょうかまち)
  • 萩反射炉(はぎはんしゃろ)
  • 恵美須ヶ鼻造船所跡(えびすがはなぞうせんじょあと)
  • 大板山たたら製鉄遺跡(おおいたやまたたらせいてついせき)

です。ちなみに、このとき登録されたのは萩の5資産のほかにも、山口県萩市や九州、岩手、静岡など、8県11市にある23資産で、共通点は『明治日本の産業革命遺産』であること

参考サイトはこちら→日本地図でのエリア紹介

こんなふうに『広範囲に分散する資産を同じ歴史の文化群としてひとまとまりに普遍的価値あるものとして
推薦する方法』を、シリアルノミネーションと言います。

むすめ

シリアル?穀物?

なっちっち

…ではなく、「連続」という意味。

シリアルナンバー(=連続するナンバー)などと言ったりしますけど、スペルも、〇連続(=serial)で、×穀物(=cereal)と違います。

国内のその他例では、古都京都、富岡製糸場をはじめとする明治絹産業の施設などがそうです。

萩の世界遺産|うち3つを巡る

さて、訪れた日はあいにくの雨!だったのですが、3つのスポットに行く事ができました。


学んだこと感じたことを書いていきます。

おとずれた世界遺産①:松下村塾(しょうかそんじゅく)

全体の写真↓↓

講義室の写真↓↓

むすめ

これが松下村塾、ここから凄い人がたくさん生まれたんだね。…思ったより小さいね

実際、想像以上にこじんまりとした建物でした。

むすこ

でも、世界遺産に選ばれるほどの『塾』ってどんな塾??

世界遺産に選ばれた理由は『明治日本の産業革命遺産』だからってことだったけど、何が一体そんなに凄いのか調べてみました。


松下村塾
とは…江戸時代末期(幕末)に、長州国萩の松本村(現在の山口県萩市)にあった私塾。幕末期に吉田松陰が指導をおこない、明治維新~国を動かす人物を多く輩出したことで有名な塾。


吉田松陰
とは…

日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者。山鹿流兵学師範。一般的に明治維新の精神的指導者・理論者・倒幕論者として知られる。私塾「松下村塾」で、のちの明治維新で重要な働きをする多くの若者に思想的影響を与えた。
引用:ウィキペディア(Wikipedia)

吉田松陰が門下生たちに指導している再現模型↓↓

※道の駅『萩往還』敷地内にある松陰記念館にあります。

松陰が指導にあたったのはわずか2年余り(幽因室時代を含めて)。そんな短期間にもかかわらず、松陰は教え子たちを熱心に指導し、明治維新をはじめとするその後の日本変革を成し遂げた人物が松下村塾からたくさん輩出されました。

高杉晋作、久坂玄瑞、吉田稔麿、入江久一、伊藤博文、山縣有朋などなど、そうそうたる顔ぶれです。

松田松陰は、天才思想家、革命家、教育者、人格者、カリスマ的存在など様々な言葉で語られますが、信念をつらぬき勇敢に行動した生き様は、同時代を生きた人はもちろん、後世にも多大な影響を与えています

松下村塾が「世界遺産」に選ばれた理由としてその歴史的価値が高く評価されたと言えるでしょう。

おとずれた世界遺産②:萩城下町(はぎじょうかまち)

萩城と萩城下町は、1600年の関ヶ原の合戦で敗れた毛利輝元が計画的に建設したもの。その後260年間、萩は長州藩(萩藩)の政治・行政・経済の中心地として栄えました。

江戸時代の士農工商が確立されていたので萩城下町も武士と町民のくらす地区は厳格に区別されていて、当時の地域社会がよく表されています。


↑↑萩城下町絵図 安政元年~2年(1854~55)頃

萩を観光していると色々な所で目にしますが、なんとこの古地図、今でも十分に使えるそうなんです。

なっちっち

ブラタモリみたいに、古地図見ながら歩けますよ!

というのも、萩の町は今まで天災や戦災に見舞われることがなかったので当時の町割りや建物、道などが
今もなお変わることなく残っているそうなんです。ただ今回は、あいにくの雨であきらめざるを得なかったのですが…、「こちずぶらり」なんてアプリも出てるのでぜひリベンジしたいと思います↓↓

こちずぶらり

こちずぶらり

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誤解のないよう書きますが、「萩城下町=世界遺産」といっても一帯全部が資産範囲というわけではありません。

資産範囲は地図の赤線でかこまれた部分です↓↓

・城跡(じょうせき)
・旧上級武家地(きゅうじょうきゅうぶけち)
・旧町人地(きゅうちょうにんち)

結局歩いて行けた所は「旧町人地」のみ(残念)。ですが、それぞれご紹介してまいります!

城跡

(※写真ACからお借りしました)

萩城は1604年に毛利輝元が指月山麓に築城したので、別名「指月城」とも呼ばれています。

旧上級武家地

(画像をお借りしました)

旧上級武家地は、城跡とともに長州藩(萩藩)の政治・行政の中心地でした。立派な家屋がたくさんです。

旧町人地(今回まわれた所)

タイムスリップしたかのような街並みが残っていました!(曇り空なので写真暗めです)

どの通りも雰囲気がありますね↑↑

武家屋敷でよく見かける「夏みかん」↑↑萩と夏みかんの歴史も古いですね。

(参照:萩と夏みかんの歴史

↑↑国指定重要文化財「菊屋家住宅」。

↑↑菊屋家西側の美しいなまこ壁。

↑↑木戸孝允(桂小五郎)が生まれた家。江戸に出るまでの約20年間を過ごしたそうです。

この木戸孝允宅をはじめ、伊藤博文別邸や桂太郎旧宅など9カ所の「萩市公開文化財施設」100円/1回(小学生以上)で観覧できます。いろいろ見たい場合お得なのは、

・310円/1日「萩市文化財施設1日券」

9施設全て観覧できるので大変お得です!

おとずれた世界遺産③:萩反射炉(はぎはんしゃろ)

むすこ

塔みたいなこれは一体なに?

なっちっち

鉄の大砲を作るために金属をドロドロにするものだよ。

「反射炉」とは、鉄製大砲の鋳造に必要な金属溶解炉です。長州藩(萩藩)の軍事力強化のために導入が
試みられました。当時反射炉の操業に成功していた佐賀藩に、藩士を派遣して「鉄砲大砲の鋳造」の方法を
教えてもらおうとお願いしますが、断られてしまいました。その時許可された反射炉のスケッチを頼りに
建設を試みたとのことです。

最終的には技術面、費用面で本式の反射炉の建設を断念したそうですが、長州藩(萩藩)が産業化に向け
試行錯誤した跡がこの反射炉には残されています。

むすめ

っていうか、外から見ても仕組みがどうなっているのかよく分からない…

という方の為に、案内書などでもらえるパンフレットに詳しい説明がありますのでぜひチェックしてみて下さいね。

観光の町「萩」では、至る所でマップや説明冊子が配布されています。また各施設には係員さんが在中していらっしゃいますが、皆さんとても親切丁寧に萩の歴史や魅力を教えてくれます。そして観光アプリがいろいろ開発されていたりと、観光客が楽しめるしくみが随所に見られるなという印象です。

なっちっち

観光客にとって至れり尽くせりですね!

まとめ

以上、本記事では、

親子でめぐった「萩の世界遺産」

についてまとめてまいりましたが、如何でしたか?今回は5つのうち3つしか行けなくて残念でしたが、萩を散策中にあちこちで見かけた「明治維新胎動の地」という言葉の意味を肌で感じることができる旅になりました↓↓


激動の人生をおくり、享年30(満29歳没)という若さで亡くなった吉田松陰をはじめ、長州藩士たちのパッションはとてもすごかったというのが一番の感想です。

むすめ

町中が博物館ってだれかが言ってたけど、本当だね…。

たしかに!!今回だけじゃ全然時間が足りなかったので、次はぜひ晴れた日にまた来ようと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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