今回お届けするのは、
【旅育の記録】京都編①
ということで、親子で出かけた京都旅行の記録を書いて行きます。
旅育の記録、と書きましたが「旅育」とは何か?読んで字のごとく、
旅を通じて子供に色々な体験をさせ育てること!
です。机の上の勉強だけでは学べないことが人生にはたくさんありますね。学校でも社会科見学や修学旅行など、実際に現地に行ってしか学べない事を学ぶ機会があると思いますが、それを家族単位で行うのが『旅育』になります。ただ楽しむ、リラックスだけの旅行ではなく、「学ぶ・発見する・体験する」といったテーマをもって旅に臨むのが、旅育の基本です。
ということで、今回は「京都編」をお伝えします。
上の娘は現在小学6年生。京都には社会の授業でタイムリーに学んだ場所がたくさんありました!
【今回の旅育テーマ】
社会の授業で学んだ京都の名所を実際に見に行こう!
・京都の町並み
・歴史の名所
などについて写真とともにご紹介します。
京都の「碁盤(ごばん)の目」を体感
条坊制で区画整理された、平安の都
京の町といえば「碁盤の目」になっていますが、娘も旅先でもらったマップとまっすぐのただっ広い通りを見て
これが碁盤の目か~
と実感した様子。
平安京がおかれていた京都は、縦と横に直行する通りが碁盤の目のように作られているのが特徴です。
通りの名前や地名も平安京由来のものが多く、その歴史に触れつつ観光するのも楽しみの1つ。
平安京は794年に桓武天皇によって造られましたが、見本となったのが唐の都「長安」(中国)。「条坊制」という都市計画のもと、このような広い道路が東西と南北に直行する碁盤の目のような区画整理が行われました。
条坊制(じょうぼうせい)とは、中国・朝鮮半島・日本の宮城都市に見られる都市計画で、南北中央に朱雀大路を配し、南北の大路(坊)と東西の大路(条)を碁盤の目状に組み合わせた左右対称で方形の都市プランである。
引用:ウィキペディア
京都の町の中央には朱雀大路が通っており、それを境に「左京」と「右京」でわかれています。
京都ならではの、場所の言い方
京都で場所を説明するとき「京都ならではの言い方」がありますが、知っていますか?
東西と南北の通りが交差する場所は、それぞれ通りの名前をならべて言います。
例えば、
・四条河原町(四条通と河原町通が交差する地点)
・千本松原(千本通と松原通が交差する地点)
そして、「四条河原町」は四条通からみた言い方で、河原町通から見れば「河原町四条」といったふうに使い分けをします。
また住所の説明をするときは、「千本烏丸上がる」「烏丸千本東入る」などと言ったりします。この「上がる下がる」「東入る」「西入る」という言い方、京都以外の人にはちょっと何言ってるのか分かりませんね。
・「上がる」とは、通りが交差する地点から北へ行くこと
・「下がる」とは、通りが交差する地点から南へ行くこと
・「東入る(ひがしいる)」とは、「東にある」
・「西入る(にしいる)」とは、「西にある」
という意味。京都の人は地名にこれを付けることでだいたいの場所の位置がわかる、というわけです。
タクシーの運転手さんが普通に使ってるのを聞いて、ちょっと感動。
大政奉還が表明された「二条城」へ
京都が誇る世界遺産「二条城」にも行って来ました。広い、キレイ、凄い!
さすが世界遺産!
大政奉還が表明された場所として、中学受験にもよく出てくる二条城ですが、1603年江戸幕府初代将軍・徳川家康によって
築城されました。もともとは家康が上洛の際の宿泊所でしたが、色々な歴史のターニングポイントの際に使われてきた場所です↓↓
①初代将軍:徳川家康が、征夷大将軍に任命されたときに盛大な祝賀の儀が行われた
②初代将軍:徳川家康と豊臣秀頼は二条城で会見し、秀頼の成長ぶりに脅威を感じた家康が、豊臣氏を滅ぼす決意をした(→大阪の陣へ)
③3代将軍:徳川家光の頃には、時の後水尾天皇が二条城へ5日間の行幸をした
④江戸最後の15代将軍・徳川慶喜が大政奉還の意向を示した
このように江戸の初めから終わりまで栄枯盛衰を見届けてきた二条城。見どころはたくさんあります↓↓
重要文化財「唐門」
国宝・二の丸御殿の正門にあたる唐門は国の重要文化財です。3代将軍家光の時代、後水尾天皇行幸の際に造られました。
国宝「二の丸御殿」は日本建築の重要な遺構
創建当時からの天守が現存し、かつ住まい部分である「御殿」が現存する二条城は、その重要価値から国宝の指定を受けています。桃山時代に確立した貴重な書院造りの数々を確認できます。
◆豪華絢爛な書院建築&狩野派による障壁画◆
大政奉還が行われた一の間、二の間。四方が丸くなっている「折上格天井(おりあげごうてんじょう)」は書院造の建築の中でも最も格式高いものとされています。
(※加工画像)
資料集で見たのと同じ。だけど実際は、キラキラすぎてちょっと落ち着かないね。
来殿者の控室である三の間、別名「虎の間」。いかつい虎が何匹もいる部屋に来客を待たせるなんて徳川家の権力を見せつけようとしてるとしか思えませんね。
(※加工画像)
(ガイドさん曰く)昔、日本には虎がいなかったので、虎の毛皮をもとにイメージしながら狩野さんが描いたんだって。
◆キュッキュとなる「鴬張り(うぐいすばり)」の廊下◆
「鴬張り」と呼ばれる床の廊下は、歩くと床がきしんで、キュッキュッとまるで鴬が鳴くような音が出ます。外部侵入の危険を知らせるために作られた特別な構造の床であり、その先は「何か重要な所につながっている」ことがわかります。
京都では、有名なこの二条城をはじめ、知恩院、大覚寺などでも見ることが出来ます。
床が壊れるんじゃないか、とドキドキした。
◆国の特別名勝に指定されている「二の丸庭園」◆
二条城築城の際に造られた二の丸庭園は、後水尾天皇の行幸の際に一部改修が加えられており、書院造の大建築に伴う庭園の特徴がよく表されています。
「鹿苑寺金閣」と「磁照寺銀閣」
やっぱり金閣寺と銀閣寺は見とかないと、ということで両方行ってきました!
金閣=派手、銀閣=地味、ってイメージだけど、実際どんな感じかな?
「金閣寺」といえば、足利義満・北山文化・鹿苑寺金閣
北山文化を代表する建築物で、貴族と公家の文化が溶け合った優美さと華やかさが特徴です。
金閣寺の見どころと言えば、
・水面に映る金色にかがやく金閣寺
・てっぺんに君臨する鳳凰(ほうおう)
なのでそこはチェックです!
(※写真ACより画像をお借りしました)
金閣寺を実際に見て、娘の気になったことは、
思いっ切り金だ。さて、この金はどこから来たんだろう。。。
ということで帰ってからの宿題になりました。
「銀閣寺」といえば、足利義正・東山文化・慈照寺銀閣
一方、落ち着いた深みのある銀閣寺は、8代将軍・足利義正によって造られたこちらも室町時代を代表するお寺で、正式名称を「磁照寺(じしょうじ)」と言います。東山文化を代表する建築物で、禅宗の文化が融合された簡素で気品のある様が
特徴です。
金閣寺に比べて華やかさはありませんが、
・木造2階建ての楼閣建である、観音堂
・日本最古の書院造りの、東求堂(国宝指定)
には「わび・さび」の良さが凝縮されています。小6(12歳の)の率直な感想は、
えっこれが、銀閣…(銀じゃないのは知ってたけど)
えっこれが、銀閣…(銀じゃないのは知ってたけど)
「わび・さび」を理解するにはまだちょっと早かったようです。
写真の奥に見える湧き水は、足利義政も茶を立てる際に使った水ということです。
圧巻のスケール、平安神宮
平安神宮の創建は1895年(明治28)、平安遷都1100年を記念して造られました。広大な敷地に、当時を再現した建築物と
美しい庭園が広がっています。
平安神宮の創建当時の京都は、幕末の戦乱により荒廃した町並みと明治維新により首都機能が東京へうつってしまったことを嘆く人々の悲しみにあふれていました。
そんな中、古き良き京都の再興を願って京都市民や全国の人々の想いによって創建されたのが平安神宮です。京都復興の象徴と言われています。
平安神宮はとにかく大きかった。
まとめ
ということで、
旅育の記録・京都編①
をお伝えしてまいりました!
金閣、銀閣、二条城など観光の超有名どころを巡ってきましたが、子どもは、現地でしか味わえない空気感とスケールを感じ取ったようです。
今回の京都旅行は紅葉のきれいな名所にも訪れましたので、また別の記事でまとめていきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。